マカオ(中国語「澳门」・ào mén) 中国広東省南部、珠江河口の西南岸にある特別行政区。正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区。マカオ半島、タイパ島、コロワン島からなる。実質的には約450年の間ポルトガルの植民地だったが、1999年12月に中国に返還された。7つの低い丘陵がある半島部と南部のタイパ島は全長2500mの大橋で、またタイパとコロワン両島は2225mの堤防道路で、それぞれむすばれる。世界で人口密度のもっとも高い地域のひとつで、98%の人が半島部にくらす。面積は27km2。人口は44万人(2002年)。 |
■経済 |
東西の文化が重なりあった街の風景、カジノやドッグレースなどの賭博、海沿いのリゾートなどが数多くの観光客を内外からひきつけている。1996年に約815万人の観光客が「東洋のラスベガス」の異名をとるマカオをおとずれた。近年、とくに中国大陸からの観光客が急増し、かつての貿易業は衰退した。衣料品、繊維、玩具などの軽工業が発達し、製品の90%前後はアメリカ、ホンコン(香港)などに輸出される。通貨はパタカ、2002年の1人当たりのGDP(国内総生産)は1万4990米ドル。 |
■歴史 |
もとは香山県(現在の広東省チョンシャン:中山)の一部だった。1557年にポルトガルが海賊征討を援助したことで明朝から居住権をあたえられ、まもなくマカオは金、銀、磁器、アヘンなどの中継貿易と、キリスト教布教の基地としてさかえた。1887年にポルトガルと清朝との条約で正式にポルトガル領となった。1986年から中国への返還交渉がはじまり、87年に返還時期を1999年12月20日とする協定が、中国とポルトガルの間でむすばれた。93年3月にマカオ特別行政区基本法が、中国の国会にあたる全国人民代表大会で採択され、99年12月20日にポルトガルから返還された。「一国二制度」(注1)のもとで2050年まで現在の社会・経済システムがのこることが基本法で保障されている。 |
■観光と文化 |
住民の95%は中国人、3%はポルトガル人である。ポルトガル語、広東語はともに公用語となっている。大半が仏教徒で、カトリックは約6%を占めている。東亜大学など7つの大学、20の小・中学校がある。
もっとも有名な聖パウロ天主堂跡をはじめ、漁師たちの守護神「媽祖(まそ)」がまつられている媽閣廟(マコウミャオ)、元の時代にたてられた仏寺の観音堂、マカオ全体がみわたせるモンテの砦(とりで)など名勝史跡にとむ。またアジアでも有力なカーレース「マカオ・グランプリ」も人気がある。100をこえるホテルがある。 |
(注1)「一国二制度」 |
一国二制度(いっこくにせいど・One Country, Two Systems) 1つの国家のなかに社会主義と資本主義の2つの制度が共存することを容認する国家統合モデルのこと。1980年代前半、台湾の平和統一も意識してうちだされた政策で、現実には返還後の香港とマカオに適用されている。香港とマカオの資本主義体制を維持し、社会主義体制の大陸と共存するために、外交と国防を除く高度自治権、言論・出版・結社の自由などが認められた。しかし実際には経済に限って2つの制度が共存しているにすぎず、香港側の自粛傾向も含めて政治については一元的に統合される傾向にあると考えたほうがよい。中国は台湾との統一方式にも一国二制度を提唱しているが、台湾側はこれを拒否している。(現代用語の基礎知識 2006 より) |
(資料出所:マイクロソフトエンカルタ2007)
≫≫≫ ≪≪≪
地域写真募集中 |
地域風景での掲載写真はすべて本サイト閲覧の皆様から提供していただいたものでございます。
お気に入りの地域写真を下記アドレスまで送って頂ければ、選考の上で掲載いたします。 サイズはなるべく350×200以上、出所と簡単な紹介を付けていただければけっこうです。 |