河南省(かなんしょう・ホーナンショウ) 中国東部の黄河中・下流域にある省。省域の大部分が黄河の南にあることから河南と名づけられた。古来、世界の中央にあたると信じられていたため、中州、中原ともよばれる。北、南、西の三方を山にかこまれ、東部にはホワンホワイ(黄淮)平原が広がる。面積は16万7000km2。人口は9613万人(2002年)。省都はチョンチョウ(鄭州)。 |
■経済 |
新石器時代から農業がはじめられ、現在も中国有数の農業地帯である。小麦、タバコ、ゴマの生産量は国内1位、綿花、ラッカセイは2位を占める。毛尖茶、漢方薬材などは名産である。ピンティンシャン(平頂山)など5つの大型炭田のほか、鉄鋼、発電、機械、建材、紡績工業が発達する。トラクター、ベアリング、大型タイヤ、タバコの生産量は国内随一。 中国全土の鉄道交通の中心地で、ペキン(北京)~コワンチョウ(広州)、ランチョウ(蘭州)~リエンユンカン(連雲港)をむすぶ中国2大幹線鉄道は鄭州でまじわり、中国最大の操車場がある。北京と中国南部をむすぶ3本の幹線道路が省内をはしる。鄭州、ルオヤン(洛陽)などには空港がある。 |
■歴史 |
新石器時代に仰韶文化がさかえた。殷代中期の都が鄭州に、後期の都はアンヤン(安陽)におかれた。殷をほろぼした周は前770年に都を洛陽にきずいた。それ以降唐代まで、この地は洛陽を中心として繁栄した。唐が滅亡したあと、五代では後唐をのぞいて梁、晋などはいずれも東方の開封を都とした。とくに北宋時代には開封は100万人をこえる大都市に成長し、その繁栄ぶりは「清明上河図」などによって知ることができる。その後、都がおかれたことはないが、中国東部の中心地域、戦略上の要地として歴代の為政者によって重視された。 1992年以降、対外経済交流が活発にすすめられている。94年末までに外資の直接投資額は3億8673万ドルに達し、三資(合弁、合作、全額外資)企業は3787社にのぼった。三重県と友好関係をむすんでいる。 |
■観光と文化 |
中国文明の発祥の地のひとつ、中国古代の政治・経済・文化の中心地だったため、考古学的遺跡が豊富で、殷墟がとくに有名である。五大古都にかぞえられる洛陽、カイフォン(開封)、三大石窟のひとつ竜門石窟、五大名山(五岳)のひとつソン(嵩)山、古刹少林寺(→ 拳法)、杜甫の生家など数多くの名勝史跡がある。 50の大学、196の国公立研究機関がある。地方劇の豫劇、中州絵画などに代表される河南独特の文化が発達する。古代政治家の商鞅、思想家の韓非子、科学者の張衡、文学者の杜甫・韓愈、民族の英雄岳飛、農民運動の指導者陳勝・呉広(→ 陳勝・呉広の乱)などが輩出する。 |
(資料出所:マイクロソフトエンカルタ2007)
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